帳簿の歴史 ジェイコブ・ソール
西洋人の「帳簿」の発祥はこういうものかと驚いた。
日本人は帳簿をつける という行為と一緒に、一抹の義務感、一抹の面倒くささを感じ、
「自分はそんなに細かい記録をつけるような細かい人間ではなく、もっと剛毅な人間なのだ」
と思う人も多いのではないだろうか。
日本で使用している現在の会計帳簿組織は、世界から輸入してきたものであり、その西洋の帳簿についての歴史が語られている。
そこには、細かいだの、面倒くさいだの と感じ、その職に就く人間に対しても「細かい」と感じる前に、その職業について認める流れがきちんとあった。
金勘定をする人以外にも、帳簿としての意義があり、それは、宗教に基づくものだったのかもしれない。
自分が召されるとき、最後の審判に提出される自分の「帳簿」に記載されている事項に、思いを寄せつつ記録し記載していた。
子供たちへのプレゼント、隣の家へのお礼 そのものが関わったすべてのお金の流れについての記録(お金の流れとともに日記が記載されているような)ものがあったという。
そもそもはそちらが始めで、内容が細分化されて、今の帳簿組織になって行ったのだろう。
そんな風に考えた時、自分も、たかがレシートの内容を入力するとき、思い出が蘇るw
巨額のお金を動かすこともなく、信仰心も薄いので、その事実に恐れおののき「最後の審判」に震えることはないのだけれど…
何かの事象とともにお金も流れていたにoだと思い起こすことは自然である。
切り離され記録されたとしても、お金が流れるときには一つの風景がある。
その風景を捻じ曲げるような記録は 結局は暴かれていくのかな と思う書籍だった。
そういうお金の仕組みを考えつき、その仕組み以上の仕組みを現代社会が思い付いてないことを考えると…
今の会計は、それなりに完成しているといえると思った。